当サイト は歌川広重の浮世絵をとおして東京の

いまとむかしを比較します。

 

歌川広重

安藤広重と言われるが正式(浮世絵師として)には

歌川広重である。

安藤とは本姓である。

明治8年出版届出制度が施工され、その際に出版物

には画者名、版元明記が必要となり、歌川広重は

本姓の安藤を明記。

「東海道五十三次」お復刻版発行につき、本姓である

「安藤広重」という名が定着してしまったのである。

家は代々お城や武家屋敷を火災から守る定火消同心で、将軍直参

の御家人であった。

父の名は安藤源衛門、広重の幼名は徳太郎。

広重は少年期に両親とは死別15歳のときに年齢のさばをよみ

定火消同心の重職を継ぐ事になる。

同じく15歳で浮世絵師になる決心をする。

やがて27歳になると弟の仲次郎(この子は祖父の子であった)

に家督をゆずり、自分は譲る。

年表をみるとわかるが、広重は幕末まで生きた。

生まれ変わる狭間の日本を広重はどのような思いで見て

いたのだろうか?